カワセミのまなざし

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野鳥とクラシックギターへの強い想い

不自由な心   〜それでも生きてゆく〜

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久しぶりに今想っていることを雑に書きたいと思います。

 

野鳥の事とかクラシックギターの事では無いので、興味の無い方は飛ばして下さい。

 

 ごく最近、あるテレビドラマを観て、少し気になりました。

 

anone」というネーミングのドラマです。

 

ドラマの中で、余命6ヶ月を宣告されたカレー屋のマスターが、閉店日に店を訪れた最後のお客に、ふとつぶやきます。

 

努力は裏切るけど、諦めは裏切らない

 

否定したくなるセリフですが、やけに真実を突いて、とても後味が苦い。

 

見終わったあと、脚本家を調べると「坂元裕二」であることが分かりました。

 

そして、数年前話題になった「それでも、生きてゆく」という坂元氏脚本のドラマシーンがフツフツと蘇って来ました。

 

それは、15年前に起きた幼女殺人事件を巡る被害者家族と加害者家族、それぞれの家族の抱える心の闇、あるいは奥底にある澱と葛藤する家族の姿を描いた社会派ドラマでした。

 

被害者の兄は加害者の妹と出会い、事件の当事者であることを知った後も、お互いに好感を持ち続けます。

 

決して解決しない“救いようの無い”境遇の中でも、お互い不条理を生き抜こうとします。

 

それでも生きてゆく

 

とても強いメッセージを坂元氏は発しています。

 

実は、このメッセージはその後も私の心の奥底に潜み、何かあることに表で出来てきました。

そして、今回のドラマでも言葉の発する魔力と冷酷さを痛感しました。

 

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ところで

 

人間歳を重ねると、見なくてもいいもの、出来れば自分には降りかかって欲しくないことを、いや応なしに目にし経験し、大きくため息をつくことが多くなります。

 

肉体的なこと、精神的なこと、金銭的なこと、家族のこと、仕事のこと、等々あるゆる「煩悩」が言葉通り、頭脳(あたま)を煩わします。

 

しかも他人と比較することでその煩わしい思いは一層深いものになります。

 

「何で俺だけが…どうして私だけに」

「アイツはいいな…あのヒトがうらやましい」

 

冷静に客観的に考えれば自分自身の問題ごとなのに、「嫉妬」「ねたみ」「羨望」と言った『不自由な心』が、ついつい顔を出します。

 

しかし、『不自由な心』から解き放たれることは無理なのかもしれません。何故なら、その心持ちは人間が生まれながら備わった質(たち)だと思うからです。

 

ではどうしたらいいか?

 

不自由な心』から解き放たれることを《諦める》ことではないでしょうか。

 

<ええ‼ どういうこと?>と意外に思われるかもしれませんが

 

ここで言う《諦める》とは、五木寛之氏の言葉を借りると

 

「明らかに究めるということ。すなわち、人生の季節の中で現在、自分がどこにいるかを、まず明らかに究めて、究めたうえで、寂しいとか暗いとかいった見方をやめ、視点の転換をすること」を意味します。

 

したがって、《諦める》とは、自分の抱える問題を解決せずに放りだすことではなく、真逆の意味であり、前向きな発想の転換でもあります。

 

冒頭で記したセリフ「努力は裏切るけど、諦めは裏切らない」の中の”諦め”の意味にはそんな前向きなニュアンスがあるようで仕方ありません。恐らくそれは考え過ぎだと思いますが…

 

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そう言えば

 

23年前の今日、「阪神・淡路大震災」が起きました。次男のお嫁さんの実家も大きな被害を受けたそうです。

 

そこで思い出した言葉に 「自分の生まれた境遇」があります。

 

この言葉は「運命」「宿命」と密接な関係があります。

 

自分の生まれた境遇」は変えることは出来ません。

 

私も息子もその時の苦境を頭では理解できても、共有することは出来ません。

 

そんな境遇の中で、『不自由な心』を抱えながら、自分たちの立場をしっかりと理解・究め、今日まで前向きに生き抜いてきた姿勢・心意気に対し、素直に敬意を表したと思います。

 

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最後に

繰り返しになりますが

 

この世の中、自分ではどうしようも出来ない不条理なことは絶えずどこかで顔を出し、経験をします。

 

「不平等」「不公平」は不条理を端的に示す言葉のひとつです。

 

「平等じゃない、もっと公平にやって欲しい」と強く訴えることは簡単なことですが、気休めに過ぎない気がします。

 

自分の立ち位置、つまり自分の境遇を客観的に見つめ、<大きく深呼吸して>視点を転換して、強く生きていく。 とても難しいことですが、大切な気がします。

 

それでも生きてゆく

 

坂元氏が発したメッセージは、すごく厳しく残酷に聞こえますが、私の生き方を支える大切な言葉です。 

 

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