昨年から落語にハマり、出来るだけ生の落語に触れたくなり、出掛けることが多くなりました。
ベースは「横浜にぎわい座」ですが、今回は千代田区隼人町の「国立劇場」に隣接する「国立演芸場」に出向きました。
立川志らくが「落語大全集」と銘打つシリーズもので、今回が第13回になります。
年4回、基本的に「国立演芸場」で開催され、それぞれテーマを設けています。
今回のテーマは『田舎者』でした。
「粋もやりすぎると野暮になる。己が粋である事を自慢するような人間は、はたから見ていると野暮に見えるということだ。ならば逆もあるのではないか。野暮も貫き通せば粋になる。」
この言葉が、今回の高座にかける志らくの強い思いのようです。
その夜の”枕”は、「北朝鮮問題」「慰安婦像問題」「白鵬の張り手」「池坊氏への皮肉」等で、いつもながらハラハラする言い回しで毒舌を吐いていました。
その後、三席ありました。演目は次の通りです。
- 「権兵衛狸」・・・ 狸の悪ふざけを可愛く噺ています。(志らく初物)
- 「松山鏡」・・・ 鏡の無い村に持ち込まれた鏡が起こすドタバタ愛憎劇。
(中入り)
- 「鼠穴」・・・・・・ あらすじは以下の通りです。
<あらすじ>
国元の親から兄弟二人で譲り受けた財産を悪友に誘われて、博打、茶屋酒ですっかり使い果たし、田地田畑も売り払ってしまった竹次郎。
仕方無く、江戸で商売をしている兄の店で奉公をさせてもらおうとやって来ます。
しばらく考えた兄は、「奉公するより、元手を貸すから自分で商売をしてみろ」と言います。
むろん竹次郎に異存はなく、兄から渡された包を持って表に出て開けて見ると、たったの三文。
「ふざけやがって」と地面へ叩きつけようとして思い留まり、「地面掘っても一文も出て来やしない。これで商売出来ねえこともねえ」と気を取り直します。
米屋から”さんだらぼっち”(注1)を買い、銭を通す”緡(さし)”(注2)を作って売り歩きます。売った金が少し溜まると今度は米俵を買ってほどいて草鞋(わらじ)を作って売り歩きました。
(注1)米俵の底と天井にあたる部分のわら蓋 (注2)銭の穴に通す細い縄
そのうちにやっと商売の元手が出来たので朝は納豆、昼は豆腐、茹で小豆、夜は稲荷寿司と売りに売り、働きに働いて裏通りに店も持てるようになりました。
すぐに信用もつき、得意先の口利きでしっかりしたおかみさんをもらい、一人娘のお芳も生まれます。奉公人も増え十年経った頃には深川蛤町に蔵が3つもある大店の主となりました。
すっかり余裕もできた竹次郎は、ある大風が吹く日に兄の所に三文返しに行くことにしました。番頭に「火事に気を付けて、土蔵の壁の鼠の穴に目塗りをするように」と、言いつけ兄の家に向かいました。
竹次郎の成功の噂は耳にしていましたが、久しぶりの対面に大喜びの兄に、竹次郎は借りた三文を返し、お礼の二両の別包を差し出します。
嬉し涙をこぼしながら兄は、「・・・五両、十両でも貸せたが、あの時のお前は商売を始める前から元手に手をつけてしまうだろうと思い、たった三文しか貸さなかった。きっとこんなはした金しか貸さない冷たい兄と思ったことだろうが、その悔しさをてこにして商売に励んで兄を見返して欲しかった。・・・」と打ち明けたのでした。
すっかり心情が通じた兄弟はその夜は飲んで話し込んでいましたが、しばらくすると、竹次郎が「今夜は大風が吹いて、火事が心配だから今夜はこの辺で…」と帰ろうとしました。
しかし、兄が「もしもお前の家が焼けたら、俺の財産全部やってもいい」と強く言ったため、断る訳にもいかず、再び杯を交わし、子どもの頃のように枕を並べて寝ました。
夜更けに「竹次郎、竹次郎!」と兄に揺り起こされて、「深川蛤町の方が火事らしい」と告げられ、大急ぎで駆けつけてみると、あたりは火の海。
「土蔵は?」と見るとまだ火は移っていないと安心したのも束の間、中から火がボーっと燃え立ち、三つの蔵すべてが燃えて仕舞いました。番頭が鼠穴をふさぐ目塗りを忘れていたのでした。
呆然と立ちすくむ竹次郎ですが、もうどうしようもありません。
その後、裏に小さな店を開くが上手くいかず、奉公人も一人、二人と辞めて行って残るは親子三人のみ。そのうちおかみさんも疲れが出たのか、床に伏せったきりになってしまいました。
二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなった竹次郎は、娘のお芳を連れて再び兄の所に向かいました。
商売の元手を五十両ほど貸して欲しいと頼む竹次郎に、「そりゃだめだ、元の身代ならば貸してもやるが、今のお前は焼け出されて・・・」と冷たい兄。
竹次郎「この間泊まった時、もしもお前の家が焼けたら、俺の身代全部やってもいいと言いなすった」、兄「あははは、酒の上の戯言、浮世の世辞を真に受けて・・・馬鹿げたことを言うな」、「そりゃあんまりだ。あんた人間じゃねえ、人間の皮かぶった畜生だ・・・」、怒った兄はこぶしで竹次郎の頭をなぐりました。
この有様を見て泣きじゃくるお芳の手を引いて表へ出た竹次郎に、お芳は「・・・あたしが吉原のお女郎になってご商売のお金こしらえてあげるわ・・・」と、けなげでいじらしい。
竹次郎ははじめ、「お前みたいな小さな子に・・・」でしたが、「・・・親の口から頼みにくいが、そうしてくれるか」で、その道に話をして吉原で二十両の金を手に入れたのでした。
大門を出て見返り柳、後ろ髪引かれるように、「お芳すまねえ、少しの間辛抱してくれ。この金を元手にして一生懸命商売してきっと迎えに来るから」。
すると前から来た男がいきなりぶつかって来ました。しまったと思い懐に手を入れるがもう遅い、二十両の金は消えていたのです。
「もうだめだ」と力なくへたり込んだ竹次郎。帯をほどくと木に引っ掛け、石を引き寄せその上に乗って、「南無阿弥陀仏・・・」、足をポーンと蹴って「うーん」。
兄「何だまあ、こんなに唸る奴はねえな。うるさくて寝ちゃいられねぇや。おい竹、何を唸されているんだ竹次郎、起きろ!」
びっくりした竹次郎は飛び起きて、「・・・ここは何処だ、何処だここは・・・」ときょろきょろと見回すばかり。
兄「何処だって?・・・俺ん家(とこ)だ」
竹次郎「・・・ああ、あんた兄さん・・・火事は?」
兄「何を寝ぼけてんだ。火事なんかねえよ、夢でも見たんか?」
竹次郎「・・・夢!・・・夢!・・・夢だぁー、ははははは、夢だった!・・・」
兄「どんな夢だい」
竹次郎「・・・・兄さんの家に泊まって、その晩火事があって焼けて・・・金借りに来て、お芳を吉原に売って・・・その金を盗まれて・・・」
兄「あははは、そりゃあ、えらい大変な夢だったなあ。」
竹次郎「あぁ、恥ずかしい。穴があったら入りていよ…」
兄「そりゃあ、いけねえよ、穴は塞(ふさ)がねえとな」
聴き終わって
志らくは、この噺をする前に「談志と言えば『芝浜』と言われていますが、それ以前、談志と言えば『鼠穴』と言われるくらい、この題目を大切していました。」と説明していました。
ただし、サゲが違います。
談志は、最後に兄が「ああ、無理はねえ。夢は土蔵(五臓)の疲れだっ!」と言ってオチを付けます。
談志のサゲは、言葉自体が聞きなれない古めかしい表現のため、私は志らくの方が分かり易く、気に入りました。
噺全体を通して、典型的な「人情噺」ですが、ハッとするような意外な結末を迎えることで、ドキドキ感とホッとする感があり、正に現代小説やヒューマン映画を彷彿させる、今まで聴いてきた噺とは少し違う、新鮮な気持ちを味わうことが出来ました。
落語の新たな醍醐味を知り、さらにはまりそうです。