全く門外漢な話だが
昨日届いたコンサートの案内チラシに"天才ピアニスト久々の来日"とあるのを目にした時、ふと昨年の出来事を思い出した。
それはある秋深い週末の朝、何とは無しにBSの"クラシック倶楽部"を観た、と言うか聴いた時のこと。
そこには東洋系の顔立ちをした童顔の男の子がピアノの横に立っている。 こんなんで大丈夫?と正直思ってしまった。
そして彼は、バッハの「パルティータ第6番」を徐(おもむろ)に弾き始めた。
ピアノ演奏の良し悪しは全く判らないが、バッハは大好きなので、ケチを付けようと意地悪く冷ややかな眼差しでテレビを見つめる。
しかし、しかしだが第一音でヤラれた。その瞬間バッハの世界に引きずり込まれてしまった。
そこは瑞々しく知性的で"静謐"な世界。
演奏が終わると、テレビを観てるのではなく音楽を肌で感じてる自分にハッとした。
その名は "キット アームストロング"
台湾系米国人、5歳でピアノを弾き始め、13歳で著名なピアニスト"アルフレッド ブレンデル”に師事し「これまでに出会った中で最も偉大な才能の持ち主」と絶讃され、その後ロンドン王立音楽院で音楽の学位を得た人物だ。
特筆すべきは7歳で数学を勉強し始め、何とパリ大学で数学の修士号を得たと言う。
ここに彼の持つ音楽性の根幹があるのではないかと、その時点では漠然と考えていた。
そんなモヤモヤ(=違和感)を1年間引き摺っていた。
モヤモヤ解決のため
今月からブログを始めたので一つの題材として、改めて作曲家の観点から彼の演奏を見つめ直してみた。
バッハの音楽は
- 主題の効果的な反復、副題と主題との掛け合いを用いた"黄金律的な構造"を持つと言われる。
- 徹底的に1音1音を吟味した「完全性」「厳格さ」を持つ一方、生き生きと創造性に溢れる自由で即興的な要素もあり、言わば"人間の限界を超えた真理"そのものと表現する者もいる。
バッハの楽曲はどんな楽器で演奏しても、例えエレキギターやベースやサックスで演奏しても違和感は無い。楽器の何であるかを超えたところにバッハの求める真理がある。
一つの結論
彼の「数学的な思考回路」がバッハの「真理への探究心」とシンクロし、構成美のある緻密で美しい静謐な演奏へと繋がったのでがないか。
この1年間、ずっと彼の演奏にちょっとした違和感があったが、今回改めてバッハのことを調べていくことで、やっと腑に落ちた気がした。
世界には神童・天才と称される演奏家は数多くいる。そのほとんどは世界的なコンクールで優れた結果を出している。
一方、彼は今まで一度もそのようなものに手を出していない。それでも確実に評価は高まっている。そこに本来の天才の姿を見出すことが出来る。
最後に
改めて彼の演奏を聴きてみた。そして、
熱いコーヒーを口にし、ふっと息を吐いた 。
窓越しに見上げた冬空は空気が澄み渡り、その蒼色を一段と深くしていた。
余談、冗談
その彼が来年1月に再来日する。事情があり聴きに行けないがとても残念だ。
「キット アームストロング」⇒「きっと 腕 強い」⇒「きっと腕前が上達する」
とっても素敵な名前だ。
私もアマチュア演奏家(ピアノでは無い)として”神の施し”が欲しいと切に思う。