※カメラはソニーの『DSC‐RX1RM2』を使用しています。
実は、息子(次男)夫婦の結婚1周年のお祝いも兼ねて、お嫁さんのご両親共々、神戸北野の高台にあるレストランで食事することが決まっていました。
せっかく横浜から関西に行くのですから、以前より行きたかった高野山にも足を延ばすことにしました。
天空の町・高野山とは
和歌山県中央部の山上(標高およそ900m)に広がる仏教都市です。
唐の都・長安に渡り、真言密教の教えを受け、密教の宇宙観を現す両界曼荼羅や、多くの法具・経典を持って2年後の帰国。
西暦816年(弘仁7年)に国家の鎮護を願い、この地に修禅の道場を開きました。
山上には高野山真言宗の総本山・金剛峯寺をはじめ、100以上の寺院が立ち並び、平成16年(2004年)に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。
平成27年には、ついに開創1,200年を迎えました。 (一部南海鉄道パンフより)
当日(10/29)は近畿地方に台風22号が近づき、鉄道の運行がとても心配されました。
電車スケジュール
南海なんば駅に着くと、心配した通り、電光掲示板に
<こうや3号は台風の影響で極楽橋駅行きは運行中止>
<橋本駅からバスの振替運行を実施> とのこと
駅の案内係の方に様子を聞いたところ
「道路は狭いし、台風の影響でがけ崩れの心配もありますよ」と一層不安なことを畳みかけてきました。
しかし、最後は《ここまで来たんだから、行くしかない》と腹を括り、定刻ぎりぎりに電車に乗り込みました。 そして
橋本駅からバスで約1時間20分、無事に高野山駅に到着しました。
高野山の総門であり、結界のシンボル 『大門』です。
ここが天空都市高野山の入り口です。この時、雨が最も激しく降りました。
宿坊に着き荷物を下ろし、傘を差して徒歩でお寺を参詣しながら、ここまで来ました。
高さ25.1mの威風堂々の門構えで、現在のものは1705年に再建されました。
両脇の金剛力士像が睨みを利かせています。
では、高野山駅からりんかいバスに乗り宿坊(持明院)に到着し、雨の降る中、散策開始するまで時間を戻します。
宿坊を出て、町の中心を貫く大通りを大門の方に向かいました。(上記地図参照)
まず、目の前に現れたものが『金剛峯寺』でした。
<紅葉した樹々がお出迎えです>
総本山 金剛峯寺は1593年、豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、更に1863年に再建されたものが現在の建物です。
実は、明治2年金剛峯寺と改称されるまでは『青嚴寺』と呼ばれていました。
全国に四千余の末寺をもつ高野山真言宗の総本山です。
<雨中でも紅葉のバランスが美しい>
<雨は強弱ながら断続的に降り続けました>
<本坊より正門を見渡す>
本坊は東西約60m、南北約70mあります。
持仏間、大広間、梅の間、豊臣秀次が切腹した柳の間、書院上段の間、奥書院、稚児の間、囲炉裏の間などがあります。
<回廊脇の石庭>
< 長く続く回廊、その先に柳の間もあります>
ただただ息をのむ美しさです。
<蟠龍庭>
石庭としては我国最大の庭(2,340㎡)です。雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されています。
龍は四国産の青い花崗岩140個、雲海には京都の白い砂が使われています。
<奥殿・裏の石庭>
<正門から階段を見下ろすと…>
お寺を出てさらに大通りを下りますと
高野山 根本道場『壇上伽藍』の一角にたどり着きます。
この一帯は僧侶が集まり修行をする場所です。
弘法大師・空海は高野山の造営にあたり壇上伽藍から始め、金堂・大塔・西塔・僧坊等の建立に心血を注ぎました。
<裏通路にあたる蛇腹路(じゃばらみち)です>
紅葉スポットして人気が高いそうです。
華やかですね。
歴史を感じます。
壇上伽藍中心の塔『根本大塔』です。
887年頃完成しました。高さ約50m、四面30mあり、現在の建物は1937年再建し、1996年に外壁を塗り替えました。
高野山一山の総本堂『金堂』です。年中行事の大半がここで勤修されます。
現在の堂は1932(昭和7年)に再建、1934年に落慶されました。
静寂の中で佇む『六角経蔵』です。
1159年、皇后であった美福門院得子が夫の鳥羽上皇の菩提を弔うために創建。(1934年に再建)
壇上伽藍の正門として建つ『中門』です。
1843年の焼失以来、礎石を残すのみでしたが、2015年(平成27年)の高野山開創1200年記念大発会を期して再建されました。
焼失を免れた持国天・多聞天に、新たに増長天・広目天を加え、四天王を安置しました。
<広目天像>
<増長天像>
<持国天像>
<多聞天像>
中門を出た道路正面にある銀杏の許には、「こうやまき」の出店がありました。
高野槇は高野山に自生する槇で、真言宗の方がお墓参りや仏壇に供えるそうです。
大門を目指し歩いていると、高野山への道標(道しるべ)である『町石(ちょういし)』があることに気が付きました。
高さ約3m強の五輪卒塔婆の石柱で、壇上伽藍・根本大塔から慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)までの約22㌔の道中に180基、大塔から奥の院・弘法大師御廟までの約4㌔の道中に36基の町石が置かれています。
その後ようやく 『大門』に辿り着きましたが、その様子は前述の通りです。
そして、今夜のお宿である宿坊『小坂坊・持明院』に戻りました。
持明院は真言宗「持流一派の本山」として約1千年今日に至るそうです。
本尊は「延命地蔵菩薩」で、古来より武田家・土屋家・京極家・木村家等の菩提寺になっているとのこと。(武田信玄ともゆかりがあるそうです)
この建物の趣きをみると、その歴史の重みを十分に感得することができました。
何気ない灯篭や木々の配置や出色に、静謐な美を感じます。
緩やかな坂を上り詰めると、左側に、ごみ一つ無い整然とした表玄関が待ち受けています。
玄関をくぐると、凛とした生花がお迎えしてくれます。
中庭の美しさは、正に日本の伝統美を表現しています。
緩やかな坂を上り詰めた右側には「四国八十八所霊場の石仏お砂踏場」があります。
ここを訪れると、四国八十八カ所を回ったのと同じ御利益を授かることが出来るそうです。
翌朝、宿坊「持明院」で美味しい精進料理を頂いた後、雨の上がった大通りを歩き
弘法大師・空海が今でも生き続ける『奥之院』を目指しました。
「奥之院」の入り口にあたる「一の橋」です。
一の橋から御廟までの約2㌔の「参道」です。
参道には樹齢数百年の老杉がそびえ、参道の両側には武将から庶民まで20万基を超す墓碑が並んでいます。
御廟橋のそばに鎮座する『水向地蔵』です。
地蔵菩薩・不動明王・観音菩薩などを総称してそう表現しています。
水向地蔵に手向け水を注ぎ、亡き人の冥福を祈ります。
御廟橋を進むと、その奥には『弘法大師・御廟』があります。
弘法大師は今でも生きて瞑想を続けているとされているため、毎日二度食事が御廟に運ばれています。
なお、御廟橋を渡ると写真撮影は一切禁止されています。
参詣が終わり、御廟橋近くにある『護摩堂』の弘法大師像を拝みます。
帰り道にも紅葉樹が目立ちます。
こんな墓所もありました。
わずかに漏れた青空が紅葉を引き立ています。
帰り道で垣間見た、美しい額縁画的風景。
足元にもデザイン画
すこし中を覗いてみました。
宿坊で頂いた和菓子「みろく石」がとても美味しかったので、お土産にしようとお店に寄ってみました。海外からのお客様も居ましたね。
しつこくない、ほど良い甘さが病みつきになります。
二日間の旅の余韻を味わいつつ、最寄りのバス停からりんかいバスに乗り、「高野山駅」に向かいました。
今日は予定通りケーブルカーに乗り、「極楽橋駅」から「なんば駅」に行けるかなと当然のように思っていましたが、意に反して「極楽橋駅」から「橋本駅」は不通のままでした。
仕方なく、バスで「橋本駅」まで行き、そこから急行「なんば駅」行きに乗り、この旅は終了となりました。
最後に
10月下旬に”紅葉盛り”を目にすることが出来、望外の喜びでした。
京都では11月下旬が見ごろで、観光客も多く、意外に紅葉も当たりはずれがある気がします。
高野山は真言密教の総本山と言うことで、部外者には厳しいのかなと想像してましたが、金剛峯寺の中を回りながら、人への優しさが溢れている雰囲気を感じ、すごく安堵しました。
宿坊の食事、お風呂も申し分なく、特にトイレが一流ホテル並みに綺麗でびっくりしました。恐らく「世界遺産」に登録され、ヨーロッパからの旅行客が激増しているからだと思います。
皆さまもよかったら紅葉の時期が一度出掛けてみてはいかがでしょうか。