・記事最新更新日 2017/5/1
29歳の若造が市長選への出馬を決めた。
6年半前のことだ。それも究極の選択 だった。
安全志向の学生が憧れる「東京都職員」を辞めた。実はその時、結婚を控え、埼玉県内にローンを組んで自宅を買ったばかりだった。
そして、鈴木が出馬したのは、何とその3年半前に「財政再建団体」に転落した『夕張市』長選だった。
要するに、財政破綻した地方都市の再建に取り組むことを意味し、いわば”火中の栗を拾う”ことに他ならない。
こんな一見無謀にも思える選択をした青年に私は興味を覚えた。普通の若者とは違う、いい意味での”違和感”を感じたのだ。
彼の生い立ちを振り返ってみると
高校時代には両親は離婚していた。そのため、経済的理由で大学進学は諦めざるを得なかった。
そんな逆境の中、高卒でも一番条件の良かった「東京都職員」を目指し必死に勉強し、受験者中3番目の成績で合格した。
ただし、就職後も大学進学の夢は捨てきれず、職場に迷惑を掛けないことと4年間で卒業することを条件に夜学に通うことを許され、法政大学法学部第ニ部法律学科に入学し、地方自治を専攻。そして様々な苦労はあったものの、無事4年間で卒業した。
温厚で優しくおぼっちゃまタイプな外見とは裏腹に、かなりの苦労人であり頑張り屋のようだ。
そして転機がやって来る。入庁して9年目のことだ。
その頃、夕張市が財政破綻したことが大きく話題になっていた。大変だなと他人事として思っていたが、当時の猪瀬副知事が、財政再建に東京都の持つノウハウで貢献したいとの意向が働き、運命のいたずらか、鈴木に白羽の矢が立ち、夕張市に派遣される事になる。(27歳)
この打診を受け入れた背景には「公務員になったら、大変な状況にある方を人生をかけて救いたい」との秘めた思いが常にあったからだ。
派遣期間は1年との約束だったが、1年間では地元住民の顔と名前が一致し、性格が分かっただけで、何も地元に役立つことは出来なかったとの想いから、もう1年継続を願い出る。
了承されると、地元の若者や学生約80名と一緒に「地元には何が必要か」とのアンケートを全世帯に実施し、その調査結果を夕張市長、北海道知事、そして総務大臣に提出する。前例の無い無謀な行動だった。
2年2ヶ月の派遣期間を終了して都庁に戻るが、結婚の準備や新居の手配をしていても、ともに過ごした仲間たちの姿が常に頭をかすめる。”自分でも夕張でやれることはまだあるのではないか”と自問自答することが続いた。
そんな中、夕張の仲間から市長選の出馬要請が来る。
《今までは「選ぶ選挙」だったが、今回は「この人に市長になって欲しい」という意思を伝える選挙だから、「人生を賭けてあなたを応援する」》との殺し文句が、揺れるこころをさらに揺さぶった。
そして冒頭の通り
- 結婚し自宅を構え「東京都職員」として安定した生活を送るのか。
- 市長選に出馬するのか。(出馬しても落選し無職になることもあるし、当選しても収入は大きく減ってしまう)
どちらかの”究極の選択”を迫られ、人生最大の決断をすることになる。
熟考を重ね、「やりたい」自分がいるからこそ「やりたくない」答えが出なかったという結論に辿り着く。雑念がスーッと無くなり、挑戦することを決意する。
腹の据わった男は強い。
とにかく地元の住民と会い、話を聞いてもらい、約4ヶ月で全世帯の95%の住民と接点を持つことが出来た。
そして、2011年4月24日 82,6%という高い投票率で念願の初当選を果たした。
当時、30歳の”最年少市長”としてかなりの話題をさらった。
「29歳、無職、金無し、政党支持なし」の若造の人生はこの時大きく変わった。
就任当時
夕張炭鉱閉山の後処理と放漫財政で、既に市は353億の財政赤字を抱えていた。
人口はピークの11万人から1万人を切っていたのだ。
日本唯一の「財政再建団体」の再建は困難な道の連続である。
現在までの約6年間(※2015年4月に再選され現在2期目)は、徹底した「コスト削減」に尽力した。
「コスト削減」の主な施策は
<市職員等の負担増>
- 市長の給与70%カット(年収300万円台)、退職金は100%カット
- 職員の給与40%カット
- 市会議員数 18人から9人へ削減
- 職員数 260人から103人へ削減
<市民負担増>
<行政サービスの見直し・削減>
- 集会所・公衆便所・公園の廃止
- 小中学校の集約化 9校から2校へ
- 除雪予算の削減
- 医療サービスの見直し
「全国最低の行政サービス」と「全国最高の市民負担」と揶揄された。
市民は当然猛反発すると思われたが、身を切って改革を実現しようとする鈴木の熱意に、多くの市民は「若いけど本当に良くやる。頑張り屋だ。私、大好きよ」「あんたもあんな安い給料でよく頑張ってるな」「やっぱりすごいんじゃないか。あれだけ北海道、国と渡り合って、これだけのことを進めていけるということは」などと支持した。
そして、26年度末までに116億円を返済することが出来た。
この事実は第2ステージへのステップアップを後押しした。
今年3月、夕張市は新たな財政再生計画まとめて国の同意を得たのだ。
そして、夕張市は国政からも注目を浴びることになる。
3月8日の会見で菅官房長官が「これから大いに期待をしたい」と述べ、高市総務大臣も「リーダーシップに心から期待を申し上げます」とコメントしたのだ。
- その根底には’’緊縮財政一辺倒では街が崩壊し、借金も返せなくなる’’ との強い思いがあったからだ。
- 住民に大きな負担を強いたため、若者の流出を招き、今や人口の49%が65歳以上になっていた。
「地域再生」の基本理念は、「快適で、若者や子育て世代が安心して楽しく住める街づくり」とした。
今後10年間の新規事業として113億円を投じることが認められた。
投資には2つの柱がある。
ひとつの柱は、「街の集約化」だ。
市の中心部に「複合施設」や「認定こども園」「病院」を作る。
これまでに市内の5,000世帯のうち300世帯に移動してもらった。かなりの反対に遭ったが、鈴木の粘り強い説得が功を奏した。
移動した住民やこれから移動をお願いする住民にも『移った方が便利で良かった』と思ってもらえる街づくりをして行く。
もう1つの柱は、「子育て支援」だ。
子供がいる世帯が市外から来て自宅を新築すると、250万円の補助金を出す。
それ以外の施策として
旧炭鉱住宅を再利用した「若者向け滞在型観光施設」をオープンさせ、若者の流入を後押しすることも計画している。
最後に
この再生プランは、おそらく鈴木の努力だけで無く、夕張で生まれ育った人々、そして鈴木の考え方や熱意に共感し、夕張の課題に寄り添ってくれる全国の人々の総意によって初めて成功するものだ。
鈴木は言う。「政治家は本来なら、愛さえも得られる可能性のある仕事ではないか」
ひとりの若者の、夢と愛に向けた’’がむしゃらな行動’’がやけに気になる。
今後も鈴木の一挙手一投足に注目していきたい。
<夕張市の未来を語る鈴木市長>
<夕張市まちづくりコンセプト>
<夕張観光PR>
日本ハムが「幸福の黄色いハンカチ」ユニホームで登場(2017/4/29)
北海道を舞台に撮影され、1977年の公開から今年で40年となる映画「幸福の黄色いハンカチ」に着想を得て作製された。
映画のロケ地で、2006年度に財政破綻した北海道夕張市の地域再生を支援するため、限定ユニホームの販売収益で幼稚園バスを寄贈する予定。
始球式を務めた同市の鈴木直道市長は「ファイターズは今、厳しい状態。イエローユニホームをまとって、反撃ののろしを上げたい」と話した。
日本ハムも夕張市も今が踏ん張りどころ。皆で応援していきたい‼
なお、試合は9回裏に田中賢介がヒットを打ち、首位楽天に対し3対2で劇的なサヨナラ勝利を収めた。