それは昨年夏 妻の一言から始まった。
「お風呂に入る度にお湯が鏡に跳ねてしまうし、それが水垢になってしまうの」と困惑顔で呟いた。
日頃家事に疎いため、その日は丁寧にタオルで汚れを落とし拭き上げた。もうこれで当分やらなくてもいいだろうと、当然思った。
でも翌日も何故か気になり磨き上げた。そしてまた翌日も綺麗にし、洗面台の鏡まで手を出した。するともう”どうにも止まらない”。ピカピカになるまで磨き上げないと気が済まなくなった。
しかし、こんな事を続けている内に、「この清々しい気持ちは何処から来るのだろうか?」と多少の違和感を感じ始めた。
そんな時、「武士道」に出会った
何気に会社のイントラ掲示板を覗いたところ、掲載された推薦図書の解説に興味を覚えたからだ。
「武士道」という言葉は日本人として誰でも周知しているが、それを体系化した文献の内容については無知のままだった。
- 筆者は「新渡戸稲造」と言い、あの5千円札の肖像で有名な明治の教育者で思想家でもあった。
- 彼は 幕末~明治の当時、忘れ掛けていた”日本人の心の拠り所“を模索していた。
- そのきっかけは、ベルギーの法学者から”あなたの国の精神的なバックボーンは何か“と聞かれた時、答えに窮したからだった。
- 彼は熟考模索し、それが武士道であることに気付き、文献として体系化し、しかも英語で海外に向け発信した。(よって日本人が読んでいる内容は日本語に翻訳したもの)
- その中身は、グローバル的な立場で日本人の精神構造を説明したもので、極めて上質な一冊である。
詳細な内容は別の機会に譲るとして、”依って立つ日本の精神“の根底には三つの支柱があると言っている。
そして、神道を語る中でとても気なる箇所があった。
- 神社は礼拝の対象物や装飾的な道具が極めてて少なく、奥殿に掲げられる一枚の鏡だけが主要なものである。鏡は人間の心を表している。
- 心が完全に平静で澄んでいれば、そこに「神」の姿を見ることができる。
- 社殿の前に立って参拝する。そして、おのれ自身の姿を鏡の中に見る。
- 参拝という行為は「汝自身を知れ」に通じるし、道徳的に言うと「内省」を意味する。
この文面を辿ることで、やっと「この清々しい気持ちは何処から来るのだろうか?」という疑問の回答が見つかった気がした。
鏡を磨くことは「心を磨き上げる」こと。とても単純な事だった。
時代を更に遡ると
鏡(=銅鏡)は弥生時代中期に中国から持ち込まれた。
そして、「卑弥呼の時代」に魏の皇帝が銅鏡を100枚下賜したことが「魏志倭人伝」に記されている。
下賜された鏡は「三角縁(ふち)神獣鏡」と言われ、鏡の裏側の文様が、太陽光を反射させると障害物に投影されることが最近分かり、当時からかなり高度技術を有していたようだ。
当時の権力者はこの技術を使い、鏡に神秘的な力を持たせ民衆を支配していた。
新年「思金(オモイガネ)神社」を参拝した。
思金神は古くから知恵の神と言われている。八百万の神の中で最上神で天皇の祖神、「天照大神」が弟の狼藉により天の岩戸に隠れた時
- 派手でエロチックな踊りを披露し、外では八百万の神が笑い騒いでいる状況を作り出し
- 何事かと思いチラッと岩戸から顔出した時は八咫鏡(やたのかがみ)を使い、映る自身の姿を自分より尊い神様であると思い込ませ、外にちょっと踏み出しところを引き釣り出したのは、思金神の策略だった。
そんな神話があったことを今年初めて調べて知った。
当然、思金神社の御神体(依り代)は鏡である。
- 天照=太陽=鏡
- 天照大神=天皇の祖神 ⇒ 御神体=鏡 と連想できる。
明治以降、円鏡を神社の御神体にするよう法整備されたのも当然の帰結である。
1月11日は鏡開き
鏡餅は神仏に供える正月飾りであるが、三種の神器の一つである八咫鏡を形取ったとも言われている。
鏡開きは、正月の間に神様からパワーを得た鏡餅を切って食し(切るは縁起が悪いので開くと表現しているが)、神のもつ生命力のお裾分けを頂く儀式だ。
今年も神様のパワーをしっかりと頂きたい。
最後に
磨かれた鏡のように、曇りの無い誠実な心持ちで常に暮らして行くことで清々しい気持ちを保とうする心構えが日本人のアイデンティティであり、受け継がれて来たDNAであると思うと、何だか嬉しくなった。